鎮め石、見せびらかしとしての古墳
中沢 さっきの大阪の崖上にある古墳群の話はおもしろかったですね。杉並の善福寺川が大きく湾曲している場所に縄文の住宅群があるんですが、大宮八幡宮はその崖の上にあったそうなんです。あれはもともと皇族の古墳の上に建てられたものですから、あそこには、人びとが崖の下の村から崖の上の古墳を見ているという構造があったわけです。方南町のあたりもかつては巨大な村落地帯で、崖の上だったところはいま立正佼成会の本部になっている。小さい規模ですけど、大阪と同じような思考方法が善福寺川の流域にもあったんだろうなと感じました。古墳というものに、見せびらかしのなにかを感じますよね。
宮本
大阪の上町台地という、ちょっと高い場所にも断層が南北に通っていて、すべては発見されていないんですが、古墳がたくさんあるんです。僕はそこに古墳が並んでいただろうと推測しているんです。鎮め石としての意味もあったと同時に、見せびらかしのためにつくったんじゃないかなって思うんです。外国の使節が難波の宮に来たときに、崖の上に格好いい古墳がブワーッと並んでいるのが見える(笑)。
古墳のオリジナルの姿はご存知ですか? いまの古墳は緑が茂っているのがほとんどですが、もともとは全部石張り、瓦張りなんです。
中沢 殺風景なんですよね。
宮本 そう。兵庫県に五色塚古墳という、当時の状態に復元された古墳があるんですが、幾何学的にピシッとエッジが立っていて、白くてピカピカした、いかにも構築物というものですよ。それが、ダダーッと並んでいたら壮観でしょう(笑)。
中沢
怨霊を鎮めた加工物というのは、ものすごいパワーがあるわけですよね。そのパワーをどうやって人間の世界から送り込んでいくか、それが怨霊史観の主題でもあった。菅原道真みたいな人が必要だったわけです。
もともと学者で社会的に失脚した菅原道真は、俺に似てるなあって思うこともあるんですが(笑)、そんな執拗に恨みを抱くようなタイプじゃないんです。世の中がそうしたくて、菅原道真を怨霊に変えて天神様にして、とてもパワーがあるというふうにつくりかえていくわけです。力のあるものを大地の底から引っ張りだしてきて加工し、地上にあらわにした。
五十嵐
建築史家で西和夫さんという桂離宮などの日本建築史の研究者が、5年ほど前に『海・建築・日本人』いう本を日本放送出版協会から出しています。それは非常におもしろい建築史で、アースダイバーの話とも少し似ているんですが、縄文の時代の地形を踏まえながら、縄文遺跡の意味を考えてみるというものです。
たとえば、三内丸山遺跡など非常に巨大な縄文時代の遺跡というのは、いまの見方からいうと権力の象徴だとされますが、西さんの分析では、縄文時代の海岸線は現在よりもずっと内陸にあったわけだから、海から見せるものだったというんです。なかなか実証は難しいですが、従来とは全然違う発想をされていたのがおもしろかった。
西さんが海から見える日本ということに関心をもったのは、網野善彦さんと交流をもっていたからなんでしょうね。その時代の風景や地形がどうだったかとらえ直すと、われわれが考古学的に知っている遺跡の意味は変わってしまうという話がすごく印象深かったんです。
中沢
いまの青森市はもともと海の底ですからね。三内丸山遺跡は小高い丘の上にあってちょうど突端部に位置していて、裏に港があって物流や交易が非常に盛んだった。三内丸山の村にある高い建物は沖からも見えたはずなんですね。
この村へ入るための道は何カ所かありますが、海側のメインロード、つまりいまの青森市のほうから入っていくと、道の両側がずっと墓地になっている。オホーツクや中国から訪れた使節などがそこを通って村に入っていたと考えると、その崖上や道の両脇に死者のモニュメントを置くことの意味は、まだ僕らはじゅうぶんにとらえきっていないと思いますね。
動物的な回路を取り戻す
宮本 崖の「ケ」は「ハレとケ」の「ケ」でしたよね。いや、僕は斜面の仕事が多いんですよ。
中沢 連続した平面というのは、パワーを押さえて均質な平面に力を流していくんですが、斜面というのはそれがボキッと折れて、その折れ目からなにかが見えている場所です。だから、ケでもあると同時にハレでもある。どちらともいえない力なんですね。斜面で建築をやるというのは、大地の下からわき上がってくる力を加工するということじゃないですか。
宮本 鹿島神宮の要石はなにか特別なポイントだったんですか? 『アースダイバー』を読んでいない人はわからないと思いますが、その要石を動かすと地震が起こっちゃうんです(笑)。とても大事なポイントで、少しだけ石が飛び出ている。
中沢
鹿島神宮の要石がどうして有名になったのかは謎に包まれているんです。あの要石の下に鯰がいるといわれる前は、龍がいるといわれていました。あそこが龍の口のひとつだったんですね。龍の口は熱海とか、いろいろなところにあるんですよ。熱海と鹿島神宮の竜の口はつながっていたといわれています。
地上には人の頭ぐらいのポコッした石が出ていて、その石をどけると下の鯰が体を揺らして日本に地震を起こすという考え方が江戸時代に大流行していた。地下には鯰や龍という、いつ体をゆすりかねないなにかがいて、彼らが動くと地震や火事が起こるという江戸時代の人たちの感覚。東京にはいまだにそういう感覚が残っているんじゃないでしょうか。
五十嵐
『アースダイバー』を初めて読んだとき、80年代の東京都市論とは違うなあと思いました。荒俣さんは、風水あるいは理念的なフレームワークのなかから東京を読み解いて、物語を紡ぎだしていく。そういった意味で、少し意味論的だなと思ったこともあるんです。
中沢さんも宮本さんも物語を紡ぎだすんですが、地形と人間の身体の関係の成立を、歴史を超えてどう普遍的に考えうるか読み解くところから出発している。それは、同時代性なのかなとも思ったんですけれど。
中沢
風水というのは、人間が生きている場所を意味過剰にしてくれるところがありますが、盆地や平地に開かれた都市じゃないとうまく適応できませんね。東京というのは平坦な関東平野につくられているように思われがちですが、じつはそういう空間じゃない。むしろ非常に起伏に富んでいて、山間部に近いようにつくられている。
仮にですよ、家康がここに都市をつくったときに、天海和尚のような人が風水に合わせていろいろなものをマッピングしたとしたら、かなり無理がある。江戸を造形するときの中心点は、おそらく富士山だったと思うんです。富士山は意味の中心点ではない。皇居も同じように意味の中心点ではなく、ぽっかり開いた穴のようなものだということと関係しているんですね。
意味論や記号論が80年代に大流行しましたね。僕は同時代に生きていて、やっているふりをしていましたが、じつは嫌いでしょうがなかったんです(笑)。なにもかもに人間的な意味を組み込むでしょう。この回路を切ってしまって、自然の回路、動物的な回路でつないだうえで、そこから意味を立ち上げさせる作業ができないだろうかと思っていた。それがアースダイバーとして結晶したわけです。でも宮本さんたちの世代はそれが普通なんですね。僕は努力したんだけど(笑)。
五十嵐 建築ではポストモダンの時代、ロバート・ヴェンチューリ、チャールズ・ジェンクスの建築論がありました。視覚的な議論でしたよね。それに対して宮本さんはもうちょっと3次元的というか、モノと人間との関係、立ち振る舞いに注目しているような感じがしているんですけれど。
宮本
そういういわれ方をするのであれば、反対ですね。われわれの建築というのは自律性がないんですよ。それ自体の理論で成り立ってない。施主や敷地を与えられなければなにもできない。施主との対話や土地を読み解くことでしかつくれないんです。一方ポストモダンは、理論自体が自律しているから建築のデザインは自動的に生成していく。僕らはそうはいかなくて、毎回そこに存在する土地や施主を料理して建築をつくるという立場。世代的にはそうとらえていいのかなという気がします。
たとえば、斜面の地形というのがここにあります。まずそこを読むんですけれど、じつはそこに建築を建てることによって初めて斜面が発見されるんですよ。スキーやスノボをされる人はわかると思うんですが、30度の斜面というのは上級者向けですよね。そういう斜面を見ると、ああいう感じだなってわかるのはスキーとかスノボがあるからできるんですよ。斜面に建ててみて、斜面の意味はこうなんだとわかる。建築はおそらくその程度のもんです。
中沢
三鷹のICUのあたりから二子玉川にかけてずっと続いている野川沿いの国分寺崖線は、東京のなかでもっとも雄大な崖線ですね。僕はそこを自転車で走るのが好きなんですが、そこでの生活は大変だろうなと思いながらチリンチリンと走っているわけです。あそこに住んでいる友達がいたら家のなかに入ってみたいんですけど(笑)、この崖線上の暮らしは、たしかにここが斜面であるっていうことをはっきり見せるんですね。
たとえば成城の街を歩いているときには、ここが断崖上にある街だということはまったく気がつきませんね。でも、成城の駅を過ぎて西へ進んでいくとガーッと下っていくとき、なんて危ない崖線上に洒落た街がつくられているのかということがはっきり見えてくる。街をつくると斜面が見えてくる、家をつくると斜面が見えてくるというのは、たしかにその通りだなと思いますね。