「建てる」から「生やす」建築へ

五十嵐  中沢さんのお話にあった、過去を清算するのではなく、継続している時間のなかで現在の環境がつくられているという視線は、宮本さんの環境ノイズエレメントに近いところだと思います。宮本さんはこの本をつくっているころに『アースダイバー』に出会っていると思いますが、どんなふうにお読みになられましたか?

宮本  そうですね。最初に読んだときは素直に驚いたのと、自信をもちました。こういう視点はやっぱりアリなんだって。
 言い忘れていましたが、僕は建築家なんです(笑)。さきほどのコレクションは、出張で東京に来るたびいろいろ調べたものなんですが、仕事もせずになにやってんのかな俺は、という思いはありましたよ。でも中沢さんの本に出会って、自分がやっていることは重要なことだって思い直しました。

中沢  建築家の友人が何人かいますが、基本的にモダニストですね(笑)。ル・コルビュジエの線形思考です。後にポストモダンが出てきて、過去の様式を組み込んでつくられたものも見ましたが、全然ダメだなっていう印象を受けた。それはなんか、わざといんです(笑)。自然に非線形な思考が動いてつくり出したものじゃなくて、頭のなかでつくられた過去の組み込み方だという印象を受けていました。
 建築の世界で宮本さんみたいなお仕事をされる人が出てくるというのは、僕にとっても非常に心強いことですよ(笑)。

五十嵐  宮本さんやアトリエ・ワンなど60年代前半生まれの建築家は、ちょうどバブルのはしごを外された時期に出てきた世代ですね。戦後の日本都市の景観をつくる仕事もひと段落していたから、大きな仕事のチャンスもない。まずなにをしたかというと、観察、フィールドワークというのが特徴的かなと思っています。もちろん建築家としてものづくりの仕事もしていただろうけれど、たまたま時間があったのか、仕事がなかったのか(笑)、いろいろなことを考えるようになった。
 会場に来ている方には、宮本さんを建築家と知らない人もいたと思います。建築家が街や建築を見ることは当たり前のことですが、宮本さんみたいに土木構築物や古墳などを空間や時間のスケールを飛び越えながら観察している人というのはちょっと珍しい。宮本さん、仲間はいらっしゃいますか?

宮本  アトリエ・ワンの塚本由晴さんはわかってくれます。好みが共通なんですよ。どこかの居酒屋で、環境ノイズのネタ帳のようなものを見せて、「これ、すごいやろ!」といったらすぐにわかってくれて、ふたりで盛り上がりました。でもそれを横で見ていた梅林克という京都の建築家には、「お前ら、変態やなあ」って言われた(笑)。彼にはわからないらしい。

中沢  環境ノイズのある建物や構築物というのはユーモアがあって、笑えますよ。
 宮本さんの本を読んですぐ思い浮かんだのは、赤瀬川原平さんたちの路上観察学から生まれたトマソンという概念です。トマソンもけっこう笑えるところがあるんですが、トマソンの笑いの方が高級なような気がします。高級というか、入り組んでつくられている感じがする。古墳の上にみかん畑がつくられたり、家をつくってしまうという話は、僕なんかはすごく笑っちゃうんですけど、そこにはなんていうか、粗野な笑いがありますよね。
 トマソンと環境ノイズというのは、どういうところが同じで、どういうところが違うと宮本さんはお考えですか?

宮本  たぶん、視点は同じだと思います。つくり手の気持ちがわかるんです。きっとデザイナーはその環境に対してこうしたかったんやな、と感じる。デザイナーといってもプロに限らず日曜大工も含めてですけどね。イタコみたいに、何千年も前の人の声も聞こえてくる(笑)。

五十嵐  中沢さんが「高級な」とおっしゃいましたが、それは、トマソンにはアートの傾向があるからですね。トマソンの見せ方はすごくポップだし、写真を見るだけで笑いを誘発するものをつくっている。それに対して、環境ノイズは工学的ですよね。たとえば「神戸水水道」にしても、すごく工学的な読み解き方です。宮本さんは、それを簡単に伝えようとしているけれど、トマソンに比べていろいろと説明が必要(笑)。解読するリテラシーが求められるという点で、トマソンとはだいぶ違うと思います。

宮本  『環境ノイズを読み、風景をつくる。』でコラムを書いている中谷礼仁さんは、「歴史工学家」と名乗っています。歴史というのはとても実用的なもので、加工の対象なんだという立場ですね。いま五十嵐さんがいわれた工学というのは、たしかにピンとくる。

中沢  環境ノイズとして現れているものというのは、ほとんど「死」にかかわっていると思うんです。お寺や神社が都市空間のなかに残っていますが、そういうところは手がつけられない地帯になるわけです。そういった、死にかかわる空間を加工して特殊な記号に変えている場所には、生々しいなにかが残っている。
 芸術は死をメタファーで切りかえて、その生々しさを解熱させたうえで知的な操作を組み込むわけですが、工学というのは自然力に直接タッチして変えていくというテクノロジーです。高山、川、海、死者にかかわる墓地や聖地といったところにかかわる技術者が日本の職人の原型ですが、彼らが特別視されたのは、自然力と直接対峙した人たちだったからです。ところが芸術家というのは、自然力と直接タッチしない。
 死のリアリティに向かい合い加工するもの、それをいったん言語やフォルムなどに変換させ操作するもの、このふたつはやはり違うんですね。僕はさきほど、トマソンの笑いを高級という言い方をしてしまったけど、それは正しくなかったですね。そういう意味で歴史工学という言い方は正しいと思います。梅原猛の怨霊史観は、まぎれもない歴史工学ですね。宮本さんのお話をうかがっていて、いままでの建築家は芸術へのバイアスが強かったけれど、職人の方へ戻りつつあるのかなと感じました。

宮本  建築ってやっぱり罪ですよね。つくり手の立場からいうと、そうはいってもつくらなくてはならない。だから鎮魂して建築を建てるわけだけど、僕は建てるというより、地面に生やす仕事をやっているという感じなんですね(笑)。

中沢  建築家が庭師になるわけでしょう。生えてくる植物をいとおしんで、こっちに伸びたからチョキッと手入れする。形は整えるけれども、基本的な構造は植物に任せましょうというあり方。それは理想型に近いですよ。
 いまおっしゃったように、建築を建てるんじゃなくて、生やしてチョキチョキッとしながらものをつくりだす。これを歴史の感覚や倫理観、経済のつくり方にまで波及させていくことができると、日本は本当によい国になる(笑)。

五十嵐  生えていく建築、あるいは庭師としての建築家という話が出ましたが、宮本さんの自然と人工の括り方は、普通とは少し違うと思うんです。たとえば、環境といっても単に緑のことをいっているわけではない。一般的には人工的だと思われているものも含め、自然に与えられた環境のことをとらえているんだと思います。
 さきほど、環境ノイズエレメントの素材を、自然地形、土木構築物、文化財の3つに分類していましたが、その3つとも同じように作用しているわけです。でも普通に考えると、古代の遺跡と地形というのは、別のものとして括りますよね。

宮本  建築家の習い癖でしょうか、対象やスケールを峻別しませんね。たとえば1万分の1の地図から20分の1の詳細図、場合によっては原寸までグーッと寄っていって、そのあと300分の1に切りかえる。この切りかえはとても早いです。対象が渋谷だろうがなんだろうが、全部ひと続きの環境なんです。(笑)。

五十嵐  宮本さんは普通の建築家よりもその切りかえが早いような気がします。なんで早くなったんですかね(笑)。幼少のころからなにか特別なことをされてましたか?

宮本  やっぱり、設計の仕事をしてだんだん早くなってきた気がします。カーナビなんて遅くて使ってられない(笑)。
 昔はよく山に登っていたんですよ。ロッククライミングで使う用語というのは、建築の用語とかなり似ている。ピナックル、ビルディング、ルーフ、スラブという言葉があるんです。そういう体験と、いま建築をやっていることはきれいにつながっている感じはありますね。山に登り始める前、子供のころからよく地図を見ていたんで、それも少しは関係あるかな。地図は空間を翻訳して無理やり2次元平面に落としているわけですから。

五十嵐  アースダイバーのまなざしにとって、自転車でまわっているというのは大きいんですか。

中沢  じつは、アースダイバーを始めてからずっと同じ自転車に乗っているんです。タイヤに穴を開けられたりしてますけど、そのつど修理したり部品を交換しているから、部品だけやけに良くなっている(笑)。もともと2万円の自転車ですけど、すでに20万円を超えているんじゃないかな。自転車屋には、そろそろ新しいのとかえなさいよ、といわれるんですけど、絶対かえたくない。
 僕は飛行機に乗るのが嫌いなんですね。地面をなめて歩きたい。巡礼は常にそうだと思うけれど、旅にはそれが大事なことだと思い込んでいるところがあります。自転車のスピードだと、意外な発見ができるんですね。前方になにかが現れて、その地形が特別な意味もっているなっていう、歩いているときにはわからないような波動を感じることがありました。徒歩だとね、考えごとをしちゃうんですよ(笑)。自転車だと、自分の考えに浸らないで、気をつけてまわりを見るでしょう。そうすると、まわりの景色が私にメッセージを送り込んでくる。

五十嵐太郎(いがらし たろう)/建築史・建築批評家
1967年、パリ(フランス)生まれ。1990年、東京大学工学部建築学科卒業。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学准教授。著書=『戦争と建築』(晶文社)、『美しい都市・醜い都市』(中央公論新社)、『過防備都市』(中央公論新社)、『新編宗教と巨大建築』(筑摩書房)、『見えない震災』(みすず書房、編著)、『卒業設計で考えたこと。そしていま』(彰国社、編著)ほか。
環境ノイズを読み、風景をつくる。』と宮本佳明さん